イスラムにおいてシャハダとは何か?

イスラムのおいてシャハダとはムスリムになるスタートラインです。世界の宗教により入り方は異なってきます。儀式的なもの、初歩的なもの、全身を清めるなどがあります。他のものは排他的なもの、民族によるものもあります。イスラムはそんなものとは全く異なります

イスラムのおいてシャハダとはムスリムになるスタートラインです。世界の宗教により入り方は異なってきます。儀式的なもの、初歩的なもの、全身を清めるなどがあります。他のものは排他的なもの、民族によるものもあります。イスラムはそんなものとは全く異なります。真実を信じること、そして、ただ一つ求められるのは‘真実を信じている‘と宣言することです。それをシャハダと言い、皆がムスリムになれる言葉なのです。

シャハダとは何か?

シャハダとはアラビア語の言葉で、宣言を示します。シャハダとは「アッラー以外に神がいないこと」と「ムハンマドが最後の預言者であり伝道師であること」を宣言することを意味します。シャハダはイスラムへの門であり、シャハダをいうことで、イスラムの入り口をくぐるのです。しかし、それらの二つを否定すれば、その人たちはムスリムではないことになります。

アラビア語でシャハダは下記のとおりです。

أشهد أن لا إله إلا الله وأشهد أن محمدا رسول الله

シャハダの音としては下記のとおりです。

アシュハデゥ アン ラー イラーハ イラー アッラー ワ アシュハデゥ アンナ ムハンマダン ラスール アッラー

意味は下記のとおりです。

私はアッラーのほかに神がいない、そして、ムハンマドが最後の預言者であることをここに宣言します。

シャハダと伴うこととは?

  • アッラーと彼の伝道師達からの光を受け、アッラーと彼の伝道師の跡を追うこと。
  • アッラー以外の崇高物を否定する。
  • アッラーに託された伝道師の跡を追い、他の道を否定する。

シャハダとは全人類には一人の神で十分であることを認めることなのです。これは、天と地とその間にすべてを成しえた方のことを言います。彼は全ての伝道師たちを通じて、なにを彼が全ての物へ託されたかを考えてほしいのです。彼はアダム、ノア、エイブラハム、モーゼ、イエス、最後にムハンマド(彼らに平和と慈しみあれ)に何かを託したのです。

彼は対で全てのものを構成していますが、彼の存在は対ではなく、アル・アハドという名の通り、絶対的な唯一無二の一つの存在なのです。

知らせなさい。彼をアッラーと言い、アハド(唯一無二の存在)であると。アッラーは自立し、他に何も必要としないそんな存在である。彼には上にも下にも同等の存在を持たない、比較をするべき存在ではないのです。「クルアーン 112」

参考として

シャハダの五つの徳。

  • あなたは文字通り生まれたての無垢な穢れのない状態になります。そう、あなたがシャハダを口にしたとき、これまでの大きなものから小さなものまでの穢れは紛れもなく許されます。新たな誕生におめでとうございます。
  • シャハダはあなたを謙遜させ、アッラーこそが神であり、あなたは彼へ捧げる存在であることに気付かされるのです。あなたが彼を呼び、信じ、彼の比較しがたい知識、知恵、慈悲から来る決まりに捧げることで、彼は、あなたを支え、助け、守り、癒し、思いもよらない褒美を授けてくれるのです
  • アッラーと彼の名と願いの呼び名への知識はイスラムの核であり、多くすることにより、かれの存在を身近に感じることができます
  • アッラーの伝道師たちやその旅路の知識は、彼の生き方や強さに引き付けられる、いわば、進むべき一筋の光と見えるのです。そうすると、いかなる困難が起きても忍耐に身を落ち着かせられるのです。
  • クルアーンをよめば、そこには前述のシャハダを強くしてくれるものへとなるのです。

シャハダは公然の場所でするべきですか?

あなたの近くのモスクで行うことやモスクにイスラムに入ったことを伝える必要はありません。

モスクが近くになかろうが、なんだかの理由でいくことができなくても、それがイスラムを抱きかかえることともムスリムになることとも何の関係がありません。

モスクに行けるならば、良いことでしょう。しかし、いけないからと言って、イスラムを受け入れ、ムスリムになれないことはなく、言い方を変えれば、モスクが無くてもムスリムになれるのです。 

Read also: I Want To Be A Muslim But I Am Scared And Have Many Challenges

参照:ムスリムになりたいのですが、色々な困難があり、怖いです。

シャハダをいうにあたり、決められた場所はありますか?

決められた場所にいる必要もなければ、ムスリムになるにあたり、気兼ねするような難しい手順があるわけではありません。基本的には、非常に簡潔で特別な準備はいりません。すでにアッラーはあなたを見ていますし、あなたの心と魂に耳を傾けてくれています。彼は近く、良く聞き入れてくれ、良く見えている方です。なので、信じているならば、シャハダの言葉を口にすれば、受けれてくれることでしょう。

そして、シャハダの言葉があなたの舌からこぼれ落ちたなら、あなたは晴れてムスリムとなります。以降は、一歩一歩成長していけばよいのです。

どうしてシャハダはアラビア語なの?

シャハダは実のところ、アラビア語である必要はありません。アラビア語を話せないとムスリムになれないわけではないからです。時と状況が整えば、あなたの言語で言えばいいのです。アラビア語を勧められたなら、それは預言者がアラビア語で言ったので、より彼を身近に感じられるからです。

アラビア語は預言者の世界観を彷彿とさせる言語です。なので、クルアーンもアラビア語で書かれており、その内容が訳されたとしても、奇跡的な世界観はアラビア語でしか感じ取れないものなのです。なので、アラビア語は学ぶに越したことないとされます。学ぶことで、アッラーの世界へ足を踏み込むことで難しさも魅力となり、身近へ近づくための一つの手段となります。学べなくとも、イスラムの伝統へ橋渡ししてくれる言語があれば、良いのです。

どうして、シャハダが重要なのですか?

シャハダの重要性には多くの理由があります。

  • シャハダは信仰の宣言。それ自体がイスラムの全概念を意味し、預言者ムハンマドと彼以前の預言者が伝えてきたことなのです。
  • シャハダは神、神の絶対的唯一性と尊ぶに値する唯一の存在を純粋無垢に信じることなのです。
  • シャハダはイスラム観の核となり、いかなる時も、道しるべや星としてムスリムたちをアッラーが身を守ってくれるので、間違った信条に基づく対立的意見や憶測が飛び交う中でも一筋の通った道へ導いてくれます。 
  • シャハダはアッラーへの寄り添いであり、他の神をなしとすることなのです。
  • シャハダはイスラムへの入り口でありながら、楽園へのカギにもなります。

アッラー(栄光あれ)はシャハダをいう人の最後は楽園に身を置くようにしてくださるように保証してくれています。たとえ、その人が悪き人生を送り、それにより、地獄が最後の場所となってしまっても、否定する人も出てくることと思いますが、この一つの良い行いが地獄を彼の終の棲家にしないのです。 

預言者(彼に平安あれ)は救済の条件をこういっています。;

 مَنْ مَاتَ وَهُوَ يَعْلَمُ أَنَّهُ لاَ إِلَهَ إِلاَّ اللَّهُ دَخَلَ الْجَنَّةَ ‏”‏ ‏.‏
たち立ちの時に、アッラー以外に神が見当たらないと実感しているなら、彼は楽園へはいる。(サヒーヒ ムスリム)

 (Sahih Muslim)
  • 人生の中で創造者であるアッラーと繋がりあえることで、成長とたすけになる正しい術なのだと実感し、心も疑う所が無い。
  • 残りの半分はアッラーの伝道師を信じることです。

これが意味することはアッラーの伝道師である預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)からの道を歩むことや彼を感じ、彼へ耳を傾けること以外の行為に無関心であることなのです。言い換えれば、アッラーの伝道師が行った方法に歩を揃え、アッラーを感じ、彼に耳を傾けることにあります。これが、ムスリムが如何に祈り、アッラーに従うかということなのです。

詳細は下記を参照ください。

Was Muhammad A Prophet of God? Or He made it up?!

Who Wrote the Quran? – Real Examination To The Author of the Qur’an

7シャハダの条件

シャハダは唱えれば自然と救済され楽園が保障されるものではありません。

シャハダは誰かをムスリムへ変わりゆくためにある条件があります。その条件こそ、救済が与えられ、楽園へのカギになり、この世とあの世の幸せになるのです。なので、それを得るためにしばしの集中をいただければと思います。

  • Knowledge 知識

まず、知識が挙げられます。これは無知の正反対にあるのです。言葉の意味は発する側に熟知されている必要があり、知らずにいうことは後々に様々なことが伴い、言わないことが良いとなってしまうことがあります。

アッラーはこのように言っています。

فَاعْلَمْ أَنَّهُ لا إِلَهَ إِلاَّ اللَّه
アッラー以外の神に余地がないと知ることとなるだろう。

[Quran, 47: 19]
  • Acceptance 受容

次の条件して、否定の正反対を示す受容があります。シャハダを言うものはその意味を知るだけでなく、三章で述べるように意味を受け入れようとしなくては、有効とはなりません。シャハダを否定する気持ちがあるならば、受け入れないほうがいいでしょう。

アッラーはこういいます。

 وَمَا يَجْحَدُ بِآيَاتِنَا إِلا كُلُّ خَتَّارٍ كَفُوٍر
もしも、私たちの印を毛嫌いするものがいるなら、それは裏切りであり、隠ぺい者なのです。

[Quran, 31: 32]
  • Certainty 確かだと思うこと

三つ目に確かだと思うことが挙げられ、それは疑いと反対にあることです。シャハダをしり、受け入れるにあたり、心の中に疑いやもやもや感があってはいけません。ムスリムになることはこういった疑いを明確さや背景の明確となる確固たるもので断ち切る必要があるのです。アッラーは伝道師たちを遣い、人々にいかなる疑いからも距離を取るように言っています。

أَفِى ٱللَّهِ شَكٌّۭ فَاطِرِ ٱلسَّمَـٰوَٰتِ وَٱلْأَرْضِ
アッラーに対していかなるもやがあろうか。天と地の創造者なのに。

[Quran, 14: 10]
  • Sincerity 誠実さ

第四に誠実さが挙げられ、これは偽善の反対当たります。心の誠実さは口から発せられる言葉を受け入れることに直結します。嘘をつくものは、打ちから発せられる言葉が自らでさえも貶めることとなるのです。言葉を発さなくても、アッラー(栄光あれ)はあなたの心が見えているので、彼から逃れることはできません。

アッラーはこういっています。

إِلَّا ٱلَّذِينَ تَابُوا۟ وَأَصْلَحُوا۟ وَٱعْتَصَمُوا۟ بِٱللَّهِ وَأَخْلَصُوا۟ دِينَهُمْ لِلَّهِ فَأُو۟لَـٰٓئِكَ مَعَ ٱلْمُؤْمِنِينَ ۖ وَسَوْفَ يُؤْتِ ٱللَّهُ ٱلْمُؤْمِنِينَ أَجْرًا عَظِيمًۭا
悔い改め、アッラーにすがり、アッラーの与えし宗教観に誠実である者は遠くのことを見通せ、アッラー多くのお褒美がそこにあることがわかるのです。

[Quran, 4: 146]
  • Honesty 素直さ

五つ目に素直さがあり、嘘をつくことと反対の言葉になります。つねにアッラーは素直さを試しています。これは彼の本での約束だからです。彼は素直で、善き状態でも悪き状態でも常に正直であり、嘘をつくことで逃げないかどうか試しています。素直さの重要性はこういっています。

فَلَيَعْلَمَنَّ ٱللَّهُ ٱلَّذِينَ صَدَقُوا۟ وَلَيَعْلَمَنَّ ٱلْكَـٰذِبِينَ
アッラーは信頼できるものを知るがゆえに、嘘つきを知るのです。

[Quran, 29: 3]
  • Love 愛

六つ目に愛があり、これは嫌うこと反対の言葉です。真実を知る人もいますが、一方でそれを嫌う人もいます。アッラーや彼の伝道師やメッセージへの愛はムスリムになるにあたり、必須なことです。嫌悪感を心に抱くことで自らの行動を無意味にし、善きことをしたことにならないのです。

自らの行動を無意味にする人の行為の理由をアッラーはこういっています。

ذَٰلِكَ بِأَنَّهُمْ كَرِهُوا۟ مَآ أَنزَلَ ٱللَّهُ فَأَحْبَطَ أَعْمَـٰلَهُمْ
アッラーが送ることを嫌うなら、彼らの行為に意味をなさないのです。

[Quran, 47: 9]
  • Submission 献身さ

七つ目に怠惰さの反対に当たる献身さが挙げられます。自身の言葉の意味を知らずに発することは何も言わずにいることと同じである。ムスリムはアッラーと彼の伝道師たちの跡を追えるように努力し続けます。口から出る言葉は体の行為を裏付けとなるからです。行為の伴わない言葉には救いの余地はないのです。

アッラーは彼に献身的であれば、先が見えることを言っています。

“وَأَنِيبُوٓا۟ إِلَىٰ رَبِّكُمْ وَأَسْلِمُوا۟ لَهُۥ”
あなたの神に悔い改めを求める者は彼へ捧げているものである。

[Quran, 39: 54]

シャハダの発音の意味は何ですか?

シャハダや信仰宣言の単純な意味は、アッラーと彼の忠告に光を見出し、彼の伝道師へ光を見出し、跡を追うことなのです。

それは他の神を意識せずアッラーのみへ向かうことであり、そこにおける献身さは他の神ではなく、アッラーのみに捧げるのです。

そうすると、シャハダは両面を持つ貨幣のように見えてきます。一方はアッラーの光を受けようとすることで、もう一方は他の神に意識を向けないことです。

これがシャハダの半分と言えます。あとの半分はアッラーの伝道師の世界へ入ることにあります。すると、アッラーの伝道師以外の跡を追うことはなくなり、預言者ムハンマド(祝福と平安がありますように)を追うことにあるのです。言い換えれば、アッラーの伝道師の跡を追うことは、アッラーを追うことになるのです。これがあなたがムスリムとしてアッラーの世界へ足を踏み入れ、彼を追うことになるのです。

シャハダ後、何をすればよいすか?

イスラムを抱き、シャハダを交わしたなら、下記の行動をお勧めします。

  • 体を清め、きれいな服をまとう。 
  • そして、二つのラカー(お祈りの一部をあなたの気持ちを示すために行う)をすると、あなたの気持ちを示したいときにはいつでも出来るので、忘れないでしょう。

[ノート:あなたが恩を感じているなら、その気持ちを皆に見えるような形で渡しましょう。すると、アッラーは私たちの心の鎖を解いてくれます。しかし、素直さと謙虚さをもって選ばないと、受け手にはあなたの気持ちは伝わらないかもしれません。]

参照:

Once I Become A Muslim, Should I Start Doing All Worships? – 10 Important Questions for New Muslims

Dawah in Islam: Why do Muslims Preach Islam?

結論:これからシャハダをする方へ

シャハダをし、その世界へ踏み入れることで、あなたとともに世界中に18億人もの兄弟姉妹が歩みを共にし、手助けをしてくれることでしょう。アッラーはこういっています。

وَٱلْمُؤْمِنُونَ وَٱلْمُؤْمِنَـٰتُ بَعْضُهُمْ أَوْلِيَآءُ بَعْضٍۢ
現状から後のことも考えられる男子と女子は、互いの歩みを守りあうことができる。

(Quran 9:71)

参考資料

イスラムにおける預言者ムハンマドや預言者イエス(共に平安あれ)に関しては、下記のリンクをご覧ください。

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