ラマダンとはムスリムにとって一年の中で一番神聖なひと月になります。2024年はラマダンは場所により異なりますが3月11日か12日に始まります。
ラマダンはイスラム太陰暦の9か月目にあたり、その月、ラマダンでは、ムスリムたちはクルアーンの啓示に思いを巡らし、日があがっている間、飲食から断食をします。それは自らを神へ引き寄せるためであり、自制と感謝の意を耕すためにあります。
今回学ぶことは下記のことになります:
- いつ、ムスリムは断食をしますか?
- 断食はいつ始まりますか?
- どうしてムスリムたちはラマダンの間、断食をしているのですか?
- ムスリムのラマダンでの断食の仕方
- ラマダンの間、何をムスリムは食べているのだろう?
- ムスリムはラマダン中、水は飲めますか?
- どのしてムスリムはラマダンを祝うのですか?
- ムスリムはラマダンの間は音楽を聴けますか?
- ラマダンの間、性行為は出来ますか?
- ムスリムでなくてもラマダンに参加できますか?
- ラマダンの間ムスリムは働いているのですか?
- ラマダンの間ムスリムはどのように挨拶をするの?
- ラマダンの間、旅行は出来ますか?
- イスラム上、ラマダンの重要性は何ですか?
- 一般的に断食の目的と断食とは何か?
- ラマダンは昼間が特別で、夜も特別なのですか?
- ラマダンはそれほど特別ですか?
- ラマダンでの断食は義務ですか?
いつ、ムスリムは断食をしますか?
ムスリムはイスラムカレンダーの9か月目であるラマダンに断食をします。それは太陰暦に基づくので、始まる日は新月観測日から始まり、次の新月観測日をもって終わりにしています。よって、大抵は29日から30日となります。
太陰暦に基づくので、ラマダンはどんな季節にも起きます。(冬、夏、秋や冬)ーその時それぞれの特別な経験ができるのです。
断食はいつ始まりますか?
断食は夜明けから始まり、日没をもって、終わりとします。
つまり、夜明けに行われるアザーン(祈りの呼びかけ)から始まり、日没に行われるアザーン(祈りの呼びかけ)で終わります。ここからもわかるように、断食は祈りに直接関係しています。なので、神への祈りは行われています。
断食を開始し、その後、祈りへ行き、断食を絶ち、その後、祈りへ行くという形になります。
これらの二つの時間は日中と夜間の狭間に印字されており、万能な神を想う主なる印となるのです。この時間に二つの祈りが配されることで、私たちが「日常的」と思っているが、実はそれらは恵みに富んだ偉大な二つの奇跡(日中と夜間)であり、それらを配し、制する創造主への有難みを同時に思うことができるのです。
断食は神への昼と夜の恵みを感謝し、彼の存在を思う時といえます。
ラマダンの間はムスリムは何をしているのですか?
ムスリムは断食(夜明けから夕やみまでの間である日中の飲食、性行為を慎む)を行うことを宗教的義務としています。
どうしてムスリムたちはラマダンの間、断食をしているのですか?
ムスリムたちの断食には下記の意味があります。
1. 主な理由として断食は捧げや祈りの方法である:
断食は禁欲以上のことです。それは心のよりどころを引き寄せる行為であり、祈りの一つの手立てであり、そうすることでムスリムたちはアッラー(彼への慕いに満たされますように)をより近く、より深い関係を気付こうという気持ちになります。断食はその個々に何が必須の存在であり、自らの忍耐を学び、身の回りにいる者へ目線をやることで同じ状況にいることで思いやりを持てる手立てであると理解します。なので、その情熱をより恵まれない人へ捧げることができるのです。
2. 断食は敬虔さを養えます。
また、断食は自己研鑽、敬虔さ、神を常に意識することを養ってくれます。断食は何もしていないように見えるかもしれませんが、自らを自らの意識からくる意志で制することで、それが意志力となります。その力が、断食中にアッラーへの断食であること、私たちは彼のために行っていることであると思うこと、を思い起こすことができ、日中もの長い間、心を彼に託すことができるのです。
あらゆることが可能なアッラーはラマダンでの断食をこう評しています。
聴けし、信じ行く者よ!断食とは何たるやをあなた方に示しておきました。それを受け入れし者は、身の回りに目をやり、思いやりを行えるものになるようにしておきました。[2章183節]
3. 断食は欲の奴隷から解き放つものとなります。
人類は11か月の間、肉体の欲するままに自由に飲食を楽しんできましたが、このラマダンというひと月の間は肉体欲の奴隷から解き放ち、その代わりに、食を与え、創造主と繋がり、彼の言葉を通じて、内なる向上へつなげられるのです。
4. 痛みと苦しみを理解する。
断食の行為は痛みと苦しみを理解する機会となり、世界中で飢餓や貧困中で生活していく人々への理解へ繋がり、身を投じた者のみがしるこの感情はアッラー(彼に慕いに満ち溢れますように)が与えし全てにより地に足の着いたものとなり、喜ばしいものになるのです。
5. 断食は生産性をあげる
さらには、断食はより多い、扉が開かれています。その間、時間ができるわけですので、より生産的に時間を使うことができるのです。食などに頼らないことで、勇気となり、行わなくても、問題ないと捉えられ、悪しき習慣から断ち切りことができるのです。そして、結果的には飲食からも距離をとれるようになるのです。
6. 断食は感謝と有難みを教えてくれます。
断食を通じて、創造主により無条件で与えられしことに感謝することになるのです。時に応じて考慮をするのですが、常とはいきません。必須のこととし、感謝することはアッラーへ近づく手助けとなります。彼の名前にアシュ・シャクール(感謝を与える)がある通りです。彼はいかなる小さな善きことでも感謝するものの、彼の名にある通り、アル・ガニー(何も必要としない)存在なのです。しかし、ラマダンでの断食は魂が必須として求めるものなのです。
ムスリムのラマダンでの断食の仕方
ムスリムは毎日夜明けから日没まで(もしくは、夜明けから夕やみまで)の間、毎日断食を義務されています。断食は飲食、配偶者との性的な行動を日中の間、慎むことで、拠り所を手放さないようにする行為とする者です。しかし、それは最低限の断食となります。
実際は、預言者(彼に平安あれ)とムスリム学者たちは、預言者のあゆみから示される断食、つまり、断食は日中の時間の捧げや祈りのものだけではなく、夜間中に主の喜ぶように行いにいそしむことだそうです。
断食は自身を神の喜ばないことから距離をとることなのです。単純にいうとアッラーの喜ぶことを日中、夜間を問わず、30日間の間「良いことをしましょう会」と言えるでしょう。
アブ・フレイラ(彼にアッラーの喜びがありますように)はこのように語っています。
預言者はこういった。「嘘と悪しき行為をひかえない者は、飲食からもひかえる必要はない。」(アル・ブハーリ)
ラマダンの間、何をムスリムは食べているのだろう?
夜明けの終わり前が推奨され、ムスリムは断食前の食事であるスフールをとります。これは、この食事は朝食となりますが、文化によれば夕食になる文化もあります。
日が沈むころ、ムスリムは各々の断食をデーツや水、牛乳をとる食事、イフタールで解きます。その後、晩御飯へと続きます。ムスリムはこの二つの食事の間の夜間帯であれば、お菓子は許されており、(特にラマダンが夏の時は)水分摂取は励行されています。
スフール、イフタール、お菓子に関して、ムスリムたちは日没に向けて準備が可能で、それらは、繊維質が多いものを食べ、満腹感を長続きさせます。その例として、果物や野菜をとることで電解質と沢山の水分を蓄えるのです。
ムスリムはラマダン中、水は飲めますか?
いいえ、ラマダン中の断食では飲食をひかえているので、それは水やチューイングガムを含まれています。
どのしてムスリムはラマダンを祝うのですか?
ラマダンは捧げに焦点を当て、高められた濃厚な精神的成長をする月になります。なので、その間、ムスリムは余暇の時間にはクルアーンを読み、特別な祈りに参加します。
ムスリムはラマダンの間は音楽を聴けますか?
ラマダン月であろうがそうでなかろうが、音楽を聴くことは許されていません。 しかし、ラマダンは神聖な月で一年にひと月しか回ってこなく、祈りに費やし、内たる慕いの心、イマーンを充電する期間となり、精神的力を翌ラマダン月に向け、上げることになります。
ラマダンの間、性行為は出来ますか?
ラマダンの断食は夜明けから日没までなので、その間は飲食や性行為は禁じられています。日没後、翌日の夜明けまでならば、性行為は許されています。
ムスリムでなくてもラマダンに参加できますか?
ラマダンの断食はイスラムの第三の柱です。イスラムを学びたいと思う人ならば誰もが、この祈りの行為を唯一の神を祈る行為としてではなく、新たな経験として行うことは出来ます。
ラマダンの間ムスリムは働いているのですか?
もちろん、ラマダンの間、多くの戦いが行われていることもあります。ラマダンの間働くことは善きことです。もしも、そうでなければ、ラマダンに起きたバドルの戦いで預言者ムハンマドの教友たちはアッラーの意のために動かなかったでしょう。
ラマダンの間ムスリムはどのように挨拶をするの?
ムスリムはラマダンには善き行為を増やします。たとえば、貧しき人に食事を準備したり、道をライトアップして、喜びと幸せを近隣の人、コミュニティ全体へ広めようとします。
ラマダンの間、旅行は出来ますか?
はい、しかし、他の時に断食をすることになります。
イスラム上、ラマダンの重要性は何ですか?
ラマダンはイスラムの一年において最も神聖な月になります。なぜならば、聖クルアーンが預言者ムハンマドに啓示を受けたのがその聖なる月だからです。
ラマダンは、クルアーンが指南、指針として人々に向け明確な証明として与えられた。少しでも月の姿が見えたならば、そから断食をし、病気、旅路のものは別の日に行うこと。神はあなたに易しさを与えているのであって、難しさではない。ゆえに、神に向かってくるように進言する。そうすれば、自らもうれしいだろう。[2章185節]
そして、ラマダンはイスラムの一つの柱なのです。
一般的に断食の目的と断食とは何か?
断食には沢山の意味があり、それは下記のようなものです。
- この決まりをさだめたアッラーに尽くすこと
- 敬虔さ(タクワ)をえること
- 我慢と忍耐を学ぶ
- 自制を学ぶ
- 痛みや貧困、同じものが心の中に秘める者に助け、情熱的に与えること。
ラマダンは昼間が特別で、夜も特別なのですか?
ラマダンの夜も特別で、祈りなどの様々な形で彼らの主を喜ばせようとムスリムは最大限の努力をするように勧められています。
それらの行為の褒美は数倍になり、ムハンマド、彼に平安あれ、はその手本として、最後の10日間は多くの祈りを捧げていました。その間、より多くの褒美が得られるので、「ライラアルカディル」といわれています。
ラマダンはそれほど特別ですか?
それは巨大と言えます。ラマダンはイスラムでは非常に特別で、ムスリムには多くの理由があります。
- クルアーンの啓示はラマダンの最終10日から始まり、それは西暦610年にあたります。
- 「御稜威の夜」「力の夜」は恵まれた夜で、神がムスリムを地獄の火に踏み入れることから開放し、恵みと彼の望む善行にかえるものなのです。
- ラマダン月の断食はイスラムの5つの柱の一つである。
- 全てのよきことは数倍になり、これは悪きことにも同じであること。
- 褒美の望みでなく、信仰心のためだけにラマダンを真摯に行うことで、これまでの罪は許され、行った罪も許されるだろうこと。
- いくつかのハディースではムスリム間でも許し、火からの開放をうまく、真摯に交わしあうことで、偉大な褒美があること。
アブ・フレイラ、アッラーの喜びがありますように、は語っています。
預言者はこういいました。「ラマダン月を信仰心をもち、アッラーだけの褒美を求める者には、過去の罪に許しがあるだろう」
[アル・ブハーリとムスリム]
ラマダンでの断食は義務ですか?
ラマダンでの断食は全ての大人、健康で行えるものには義務です。それは5柱の1つであるからであり、それは日中の飲食、性行為をひかえることです。
断食は日中に限った祈り行為ではなく、ムハンマド、彼に平安あれ、が教えるところでは、日中、夜間のあいだ、神に真摯であることなのです。全ての悪いことから日中、断食するように夜間も問わず距離を取ることです。最近ではムスリムではない人が「断食挑戦」と健康面に特化して話しています。