ムスリム(イスラム教徒)になるにはどうしたらいいのだろうと思われていませんか?
ムスリムになろうと心の準備をしてこられましたか?
それなら、実に美しいです。
イスラムとは何か?
イスラムとは始めた頃から現れた全ての預言者によって教えられ続けた変わらないメッセージのことです。
なので、イスラムは新しい宗教ではないのです。実際、アダム、ノア、エイブラハムから始まり、モーゼ、イエス、そして、ムハンマドに至る全ての預言者は皆ムスリム、つまり、彼らを送り込んだ創造者に服従した人たちなのです。
神は全てを知るがゆえに、彼が定めた計画は変えません。事実、彼は純粋な唯一神理念(タウヒード)と言うメッセージを全ての預言者を通じて送り続けてきたのです。そのメッセージの大事な必須項目は「あなたの唯一無二の創造者を崇め、彼の存在を他の物や人にすり替えず、預言者のあとを追うことです。」
神は我々の必要を超えた世界におり、自らの力のみで存在し続ける存在です。だから、彼に不可能はないのです。創造者は「許し、慈悲を見せる」ために息子はいらないのです。もはや、いる必要がないのです。それゆえに、彼の許しからはみ出るものはいません。そのため、彼はついてくるものには単純に許し、慈悲を直に見せてくれます。しかし、彼は私たちをより深く、より賢明に、洗練された目的を達成するためにこの場に形作られ存在しているのです。
私たちの中で誰が本当に真摯なのかを彼は試練でふるいにかけます。それを成し得るために、私たちには学び、選択する能力を兼ね備えてくれています。あなたの今持つ気持ちからくるこの選択はあなたの誠実さの証明となります。その理由は、彼を見過ごすか彼を選ぶかという選択では、彼を選ぶことにより、誠実な愛と信仰の証明として残ります。私たちが切実に思うことの一つに、彼は私たちが望めば、労働を与えず、なんでも恒久的に得られる永遠の楽園を託してくれようとしていることです。私たちのすべきことは、私たちのいるこの一時的世界の中で、彼が私たちに託した道を精進を持って、前に進むだけなのです。
これがイスラムであり、全ての預言者のメッセージなのです。
アッラー(アラビア語で崇めるに値する唯一無二の神)は預言者モーゼに旧約聖書や預言者イエスに新約聖書を啓示しました。しかしながら、これらの本は最後の啓示であるクルアーンのように全人類に行き渡らず、特定の人に渡ることにより、強調され、今の旧約聖書と新約聖書という原本は編纂が行われ、原形が見抜けられない学問的にもご周知の現在の状態となってしまったのです。
それゆえに、アッラーはこれまでの全ての預言者に託された同じメッセージを集結、最終の形としてクルアーンを授けたのです。そして、それは原形のまま保たれ、変わらず守られ、世界中で何百万人によって、記憶されています。それゆえにこの本は無比で、打ち負かされることのない本なのです。そして、それが、イスラムの真理のための最終究極の証明となっています。
本質としてイスラムのあらゆる物事にそれぞれの目的があります。それらは不規則に現れるものではありません。私たちが尋ねれば、いつでも私たちを確かな方法で育もうと助け、私達がアッラーとより深みを増した世界でつなげてくれるのです。
ムスリム(イスラム教徒)になる方法。
イスラムは簡単で美しいものです。 イスラムには五つの柱があります。
1. 信仰の宣言(シャハダ)
もしも、あなたが、ムスリム(イスラム教徒)になりたいと思えば、信仰宣言を行うという簡素なものです。
信仰宣言を通じて、これまでの過去の罪は許されます。
大事なのは、あなたの心からそれを信じ、アッラーへの愛と彼の平和を抱き、あなたの舌で言わなければならないことです。
まるでそれは、誰かを好きになり、頭や心で閉じ込められず、口から出てきてしまうような感覚とよく似ています。
だから、私たちはシャハダを信仰宣言と呼ぶのです。
*アラビア語でシャハダは
アシュ ハデゥ アン ラー イラーハ イラー アッラー ワ アシュ ハデゥ アンナ ムハンマダン ラスール アッラー
*日本語では
私はここにアッラー以外崇めるに値する神はいないことを証言いたします。そして、私はここにムハンマドをアッラーの使徒であると証言いたします。
あなたがムスリムになるためには特定の場所で行う必要はなく、そして、複雑に入り組んだ手順もありません。基本、それは簡素で、自然なものなのです。なぜならば、もうすでにあなたはアッラーから見守られ、あなたの理性と心の声を聞き入れられているからです。彼はあなたのすぐそばで、全てを聞き入れ、全てを見守ってくれています。よって、あなたが信じれば、自ずと喉からシャハダの言葉が出て、彼はその声を受け入れてくれます。
それを行うことで、あなたはムスリムとして公認されます。
あと、私たちは学びを通じて、ほんのすこしづつでも成長していくことです。
2. 日々の祈り
次にお祈りの仕方を学ぶことです。お祈りではアッラーと会話ができるからです。そして、アッラーは日々、私たちを助けたい、案内したい、愛したい、この彼から与えられた私たちの日々の人生の一部に彼はいたいと思ってくれています。
よって、私たちは1日に5回、これらの麗しいお祈りの機会に、全ての王である彼と話す機会があります。その時に、私たちは彼の愛、光そして安らぎを感じることができるのです。そこには、私たちが王の一部であると感じ、戻りゆく先であると思えるのです。
確かに、そう考えてみると、なんと心広い方なんでしょう!この世にあなたを1日5回呼びたいと思い、それが毎日飽きることなく続けられ、話にも飽きずに付き合ってくれるのは、慈悲深い創造者である彼以外に誰がいるでしょうか?!
3. 喜捨
また、私たちは貧しさを抱える人に少ない量ではありますが、寄付として与えています。それをザカート(喜捨)といい、毎年行なっています。その由来は「浄化」という言葉から来ています。その意図は、財産の一部を他の人に与えることで財産の本来のあり方を見つめ直し、さらには心の浄化を促してくれているからです。
4. 大巡礼
もしも、可能であれば、私たちがハッジ(大巡礼)に参加すると、そこには、様々な肌、国、背景を持つ人々が皆同じ唯一無二の神であるアッラーを崇めるために集まっている姿が目に入ります。さらには、彼らも私たちに意地を張らない等しさを示してくれ、皆、同じ源から来ているのだと感じ、また、私たちも彼らと同じように彼に戻って行くのだと心にしみてゆくのです。
5. 断食
最後にラマダン月には、私たちは体の研鑽、鍛錬と魂を育むために断食を行います。そこには、体に気を配り、精神性に目を向ける姿があります。
That’s it
以上が、その全てです。
まとめとして、五つの柱は:
- 信仰宣言を声に出す。
- お祈りを積み重ねる
- 年一度の喜捨(ザカート)
- 金銭的肉体的余裕があれば、大巡礼に足を運ぶ
- ラマダン月には明け方から日の入りまで断食をする。(健康的に除かれるべき理由がない限り。)
以上です。 実に簡素でありながら、その深さと麗しさには心と理性、体を用いなくては感じられません。
もし、これが腑に落ち、あなたの心と理性が求めるようであれば、その思いを大事にし、まずは、信仰宣言であるシャハダをしてみてはいかがですか。
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